2018年9月10日月曜日

ぼくらが旅に出る理由


 ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり、誰もみな手を振ってはしばし別れるのであります。ごぶさたです。元常連客のTです。しばし旅に出るつもりが雪の降るチタチタを着物の袖を振りながら去ってから5年半の歳月が流れてしまいました。店主は、お客さんたちは、みな元気でやっておられるでしょうか。
 オザケンはたまに流れているのでしょうか。ぼくは日本語が恋しくなるとオザケンと宇多田ヒカルを聴いています。言葉というものは不思議なもので、伝達手段という使われ方以上のなにかが収められているように思います。特に友だちが恋しくなるのは、日本語の歌や本を共有できない瞬間なのであります。翻訳ではなんとも味気なくなってしまうそこの部分なのであります。
 とにもかくにも、世界にはいろんな言語がありますが、その中でも日本語を味わえることができてよかったなと思っております。無駄で、余分な、そんな部分が日本語には多いように思いますが、その無駄で、余分な、余剰の部分こそが、また人生なのではないかと、まあ言ってみればコーヒーとワインと日曜日のサンデーみたいなものなんやないかと、そう思うのであります。